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千葉地方裁判所 昭和54年(わ)1292号 判決

被告人 佐藤厚

昭二・六・一一生 植木販売業

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中四〇日を右刑に算入する。

訴訟費用中、証人浦住哲也、同高木正俊、同松本勝造に支給した分は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五四年一〇月七日施行の衆議院議員総選挙に際し、千葉県第二区から立候補した宇野亨の実弟でその選挙運動者であるが、

第一  候補者宇野亨と共謀のうえ、同候補者に当選を得しめる目的をもつて、

一  同年九月二九日ころ、同県八日市場市イの一三八番地の一〇所在の宇野亨選挙事務所において、右候補者の私設秘書でその選挙運動者である岩立正俊に対し、同人から同候補者の選挙運動者及び右選挙区の選挙人に供与または交付すべき選挙運動報酬・投票報酬の資金として、現金二、六〇〇万円を交付し

二  右同日・同所において、右同様私設秘書でその選挙運動者である石毛源一に対し、右同様の趣旨で、現金九〇〇万円を交付し

三  同月三〇日ころ、右同所において、右同様私設秘書でその選挙運動者である加瀬忠一に対し、右同様の趣旨で、現金二、〇〇〇万円を交付し

第二  右候補者に当選を得しめる目的をもつて、

一  同月二九日ころ、同県印旛郡富里村新中澤四四九番地所在の埜崎義榮方において、右候補者の選挙運動者である埜崎義榮に対し、前同様の趣旨で、現金一五三万二、〇〇〇円を交付し

二  別紙一覧表記載のとおり、同年一〇月一日ころから同月二日ころまでの間前後六回にわたり、同県同郡八街町八街ほ三一番地所在の勝股英一方において、右選挙区の選挙人であり、かつ右候補者の選挙運動者である横山美雄外五名に対し、同候補者のため投票及び投票取りまとめの選挙運動をすることの報酬等として、それぞれ別紙一覧表供与金額欄記載の各現金を供与するとともに、右横山美雄らから同選挙区の選挙人及び同候補者の選挙運動者に供与または交付すべき投票報酬の資金として、それぞれ別紙一覧表交付金額欄記載の各現金を交付し

たものである。

(証拠の標目)(略)

なお、供述調書の証拠能力について弁護人は種々主張するので以下検討する。

一  起訴後における被告人の取調べについて

弁護人は、捜査官が被告人を当該起訴事実に関連して取調べることは、現行刑事訴訟法の当事者主義的訴訟構造よりみて一切許されないし、また仮にそれが許されるとしても、被告人が自ら取調べを求めた場合や取調べに対する不出頭及び退去の自由のあることを知つたうえで、任意に取調べに応じた場合等に限定されるべきであるところ、当裁判所が証拠として採用した検察官に対する被告人の昭和五四年一二月二七日付及び昭和五五年一月九日付、宇野和男の昭和五四年一二月三〇日付、加瀬忠一の同月二九日付及び同月三〇日付、渡部藤彦の同月二二日付及び昭和五五年一月八日付、森川恭次の同月九日付及び同月一一日付の各供述調書(被告人以外の者についてはいずれも謄本)は、いずれも各供述者自身が起訴された後に、当該各起訴事実に関連する事項について、被告人として取調べを受けて作成された供述調書であり、また前記被告人の取調べが許される例外的場合にも該当しないのであるから、違法な手続によつて収集された証拠として排除されるべきである旨主張する。

そこで検討するに、刑事訴訟法第一九七条は、捜査官による任意捜査について何ら時期、方法等の制限を加えていないから、同法第一九八条の「被疑者」という文字にかかわりなく、起訴後においても、その公訴を維持するため必要な取調べを行なうことができるものといわなければならず(最高裁判所昭和三六年(あ)第一七七六号・同年一一月二一日第三小法廷決定・刑集一五巻一〇号一七六四頁)、被告人の取調べであるとの一事をもつて、これを違法と即断し、その取調べによつて作成された供述調書の証拠能力を否定することはできないし、また当該被告人が勾留中の者であつても、その取調べに際し、退去の自由を告知したり、あるいは弁護人の立会を要するものとは解し得ず、勾留中の故をもつて直ちにその供述が強制されたものということはできない。

しかしながら他方、起訴後においては被告人は当事者たる地位に立つものであるから、一方の当事者である捜査官が当該起訴事実について被告人を取調べることはできるだけ避けるべきであり、また取調べる場合であつても、被告人の訴訟当事者としての地位を実質的に侵害することなく、かつ公判手続に支障を及ぼさない必要最少限度にとどめられねばならないともいえるのであつて、かかる見地からすれば、被告人の取調べは、特段の事情の認められない限り、第一回の公判期日前において、起訴前の捜査の過程で窺える事項につき、これを明確にし、あるいは補正、補充するためになす場合に限り許容されるものと解するのが相当である。

そしてこれを前記各供述調書についてみるに、いずれも右許容される場合に該当するものと認められるところであり、従つて前記各供述調書は証拠能力を有するものであるから前記弁護人の主張は理由がない。

二  起訴後における参考人の取調べについて

次いで弁護人は、起訴後における参考人の取調べについても、現行刑事訴訟法の公判中心主義的、当事者主義的な訴訟構造からすれば、裁判所を通じて証人尋問の形式により行なうべきであるから、起訴後捜査官が参考人を取調べることは許されないし、また仮にそれが許されるとしても、前記被告人について論じたのと同様の場合に限定されるべきであるところ、その記載形式上被疑者調書であるものの、その内容からみて実質的には本件被告人佐藤厚に対する参考人調書と解し得る前記宇野和男、加瀬忠一、渡部藤彦、森川恭次の各供述調書謄本及び越川群一の検察官に対する昭和五四年一二月二七日付供述調書謄本は、いずれも被告人佐藤厚が起訴された後に、当該起訴事実に関連した事項につき取調べを受けて作成されたものであり、また前記起訴後の参考人の取調べが許される例外的場合にも該当しないのであるから、違法な手続によつて収集された証拠として排除されるべきである旨主張する。

しかしながら、刑事訴訟法第二二三条は捜査官による参考人の取調べについて何ら時期的制限を加えていないから、起訴後といえども公訴を維持するため、必要な参考人の取調べを行なうことができるといわなければならず、ことに同法第二二六条、第二二七条の規定に鑑みれば、少なくとも第一回公判期日前において、従前の捜査の過程で窺える事項につき、これを明確にし、あるいは補正・補充するため参考人を取調べることは当然許容されているというべきであり、またかかる場合にも同法第二二三条第二項の適用があるから、当該参考人が勾留中の者であつても、その取調べに際し退去の自由を告知する必要があるわけではない。

そして前記各供述調書はいずれも右許容される場合に該当すると認められるので、証拠能力を有するものであり、弁護人のこの点の主張もまた理由がない。

三  刑事訴訟法第三二一条第一項第二号の要件について(以下単に第二号と略称する。)

弁護人は、当裁判所が証拠として採用した参考人の検察官に対する供述調書のうち、〈1〉宇野和男、〈2〉加瀬忠一、〈3〉石毛源一、〈4〉越川群一、〈5〉岩立正俊、〈6〉渡部藤彦、〈7〉森川恭次、〈8〉岡野全孝、〈9〉宇野亨の九名の各供述調書について、証人が公判期日あるいは公判準備期日において証言拒否した場合は、第二号本文前段に該当しないこと(〈1〉ないし〈6〉及び〈9〉の供述者の各供述調書について)、あるいは第二号本文後段にいう相反性を具備しないこと(〈1〉ないし〈4〉及び〈7〉の供述者の各供述調書について)、更には任意性のないこと(〈4〉の供述者の供述調書について)、第二号但書の特信性を有しないこと(〈1〉ないし〈9〉の供述者の各供述調書について)を指摘して、いずれも第二号の各要件を具備していないから証拠能力がなく、排除されるべきである旨主張する。

よつて検討するに、証人が証言を拒否した場合においては、第二号本文前段に列挙された、供述者の死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明、国外にあることといつた事由と同様、公判期日等においてその供述を得ることのできない場合であるから、この場合も第二号本文前段に該当するというべきであり(最高裁判所昭和二六年(あ)第二三五七号・同二七年四月九日大法廷判決・刑集六巻四号五八四頁)、かく解しても証人の証言拒否権を侵害するものではなく、また前記〈1〉ないし〈4〉及び〈7〉の供述者の各供述調書が相反性の要件を充足していることは、右各供述調書の記載内容及び右各供述者の当公判廷における供述内容に照して明らかである。

また越川群一の取調べがその任意性に疑いをもたせる程苛酷にわたるものとは認められない。

次に特信性についてみるに、本件は、被告人が総括主宰者と認定されて有罪判決を受けると、宇野亨の当選無効という結果を招来する事件であるが、前記各供述者のうち〈9〉は宇野亨本人であり、また〈1〉ないし〈8〉の各供述者は、いずれも宇野亨を当選させるべく積極的に選挙運動を推進してきた者らであるうえ、公私の秘書として、あるいは親族として、宇野亨と極めて緊密な間柄にあり、またその多くが宇野亨から、あるいは同人の経営する会社から、生活の資を得ていた関係にあることからみて、彼らに対し本件裁判の帰趨を決する事項について、真実の証言を期待し難い状況にあつたといわざるを得ないこと、また本件事案の態様、規模からみて、被告人の刑責の重大なことが窺える本件において、宇野亨との間に前記のような緊密な関係がある〈1〉ないし〈8〉の各供述者が、宇野亨の実弟である被告人の面前で、同人に不利になるような事項について証言することもまた期待し難いといわざるを得ないこと、その他前記各供述者の公判廷における各証言には、相互に矛盾が生じることのないように、あるいは被告人の主張に沿うように配慮した点が看取しうること、〈8〉岡野全孝及び〈9〉宇野亨は身柄を拘束されたことはなく、またその余の各供述者は、いずれも勾留されていたものの、同人らの本件各供述調書が作成された当時においては、弁護人との接見が頻繁に行なわれていたことが窺えること等の諸事情に徴すれば、いずれの供述調書も任意性、特信性を有するものと認めるのが相当である。

なお、〈2〉加瀬忠一、〈4〉越川群一、〈6〉渡部藤彦の各取調べに際し、同人らに供述を勧奨するが如き内容の宇野和男や被告人作成の書面が捜査官から提示された事実が窺われるのであるが、この点取調べに妥当性を欠いた嫌のあることは否めないものの、右書面の内容やその提示後の前記加瀬らの供述内容に照すと、前記任意性、特信性の判断を左右するものということはできない。

以上の次第であるから、弁護人の前記主張はいずれも理由がなく、右〈1〉ないし〈9〉の供述者の各供述調書は、いずれも第二号書面として証拠能力を有するものである。

四  被告人の供述調書の任意性について

弁護人は、被告人の検察官に対する供述調書の全部について、捜査官が被告人をして本件犯罪を犯したものであるとの予断を抱き、連日長時間にわたつて体調不十分の被告人を取調べたこと、その際資料を提示するなどして供述を誘導したり、あるいは被告人の耳元で大声を出すなどして供述を強要したこと、更に被告人と弁護人の接見を妨害したこと等の諸事情を指摘して、右供述調書はいずれも任意性を欠き、証拠能力を有しない旨主張する。

よつて検討するに、任意性の有無に関する判断は、その供述がなされた当時の情況に照らし、総合的に判断すべきところ、取調べ済の各証拠によれば、被告人は昭和五四年一一月七日に逮捕されて身柄を拘束され、同月一二日から千葉刑務所内において本件に対する実質的な取調べを受けるに至つたが、その当日早くも岩立正俊に対する三九〇万円の交付事実について自供し、同月一七日には本件の概要を自供したうえ、翌一八日には更に詳細に犯行の全容について供述をしているのであつて、比較的早期のうちに本件犯行を自供したこと、その間連日取調べがなされたものの、夜間の取調べは最も遅い時でも午後一〇時三〇分頃までには終了していたこと、また同月一〇日夜半被告人が腹痛を起したことがあるが、その症状は翌一一日診察した医師の診断よりみて、さほど重篤のものであつたとは解し得ないうえ、同日には一切取調べがなく、その翌日の一二日には既に症状は軽快していたこと、他方捜査官において、被告人の右のような身体的状況をことさら利用して取調べを強行した事実は窺えないこと、また捜査官による誘導や強制があつたとする被告人の供述には、かなり誇張した点がみられること、そして被告人は同月一七日に初めて本件犯行の概要を自供して以来、その細部について若干の変遷がみられたものの、その大筋においては一貫して事実を認めており、右供述態度は、弁護人との接見が頻繁に行なわれるようになつた後も、また公訴を提起された後も全く変つていないこと、被告人は捜査官から黙秘権を告知された後取調べを受け、供述を録取された後右供述調書を読んで聞かされたうえで、誤りのないことを確認して署名指印したものであること等の諸事情を認めることができ、これらを総合的に勘案するときは、被告人の検察官に対する供述が終始任意になされたものであることは十分に首肯しうるのであつて、この点の弁護人の主張も理由がない。

(弁護人の法律上の主張に対する判断)

第一公訴棄却の主張について

弁護人は、公職選挙法第二二一条第一項第五号の交付罪が成立するためには、受交付者をして同項第一号ないし第三号に該当する行為をさせる目的で交付行為がなされることを要し、受交付者から更に第三者に再交付させる目的での交付行為は同項第五号に該当せず、交付罪を構成しないと解すべきであり、従つて本件で犯罪を構成するのは供与を目的とする金額の部分に限られるところ、横山美雄外五名に対する現金合計二三万円の供与の事実を除いた本件各公訴事実にあつては、供与を目的とする金額と交付を目的とする金額との区別がなされておらず、よつて罪となるべき事実が特定していないものとして、公訴を棄却すべきである旨主張する。

そこで検討するに、公職選挙法第二二一条第一項第五号が、同項第一号ないし第三号に定める供与または饗応接待、利害誘導、事後買収の各罪とは別個に、右供与等に供する金品(いわゆる買収資金)の選挙運動者に対する交付(その申込もしくは約束も含む。以下単に交付という。)及びその受交付(交付の要求、申込の承諾を含む。以下単に受交付という。)を独立してとらえて、これを処罰する趣旨は、選挙買収事犯においては、候補者または幹部運動員が直接選挙人に対する供与等の所為に及ぶことは稀であつて、一般に、候補者または幹部運動員から順次下部の運動員に供与等に供される金品が交付され、数段階の選挙運動者の手を経由して末端の運動員に至り、しかる後に右金品を用いて最終的に選挙人に対する供与等が敢行されるという実態が存することに鑑み、その所為を末端の運動員による供与等がなされるに至つた段階で処罰するだけでなく、右供与等の所為に及ばなくとも、その準備的行為ともいうべき選挙運動者間における買収資金の交付・受交付の行為もまた、それ自体選挙の腐敗の根源をなすものであつて、すでに選挙の公正を害するに足る不法な行為であるから、これに可罰性を認めて処罰し、もつて選挙における不正の防止を一層実効あらしめんとするものと解されるのである。

とすれば、前述した如き選挙買収事犯の実態に照しても、交付・受交付罪の成立を、弁護人主張のように受交付者をして供与等の所為に及ばせる目的をもつてした場合に限定して解すべきではなく、受交付者から更に第三者に再交付させる目的をもつてした場合でも、最終的に末端の選挙運動者をして右交付にかかる金品を供与等に利用させる目的が存する限り、その可罰性には何ら異なるところはないのであるから、この場合にも交付・受交付罪は成立するものというべきであり、このように解しても、供与等に結びつくことのない金品の交付・受交付までも処罰するわけではなく、最終的には供与等に供される目的のあることを要するのであるから前記第五号の「第一号から第三号までに掲げる行為をさせる目的をもつて……」という文理に反するものではない。

そして、このようにいわゆる再交付目的の交付罪の成立を肯定する結論は最高裁判所昭和四〇年(あ)第一五四一号・同四一年七月一三日大法廷判決(刑集二〇巻六号六二三頁)の採るところであり、また前記第五号の規定の基礎となつた旧衆議院議員選挙法第一一二条第一項第五号の立法の趣旨にも合致するものである。

一方、弁護人の前記主張を前述のような選挙買収事犯の実態に即して考えてみると、末端の選挙運動者に対する買収資金の交付・受交付のみが公職選挙法にいう交付・受交付罪で処罰されるというに等しい結論になるのであるが、しかしながらこのような結論が前述したような交付・受交付罪処罰の趣旨にそぐわないものであることは明らかである。

なお弁護人は、再交付目的の交付を処罰の対象としたければ、受交付者との共謀による交付罪として構成することが十分可能であるとも論ずるが、確かに買収資金が末端の選挙運動者にまで順次交付されたような場合であれば右のように受交付者との共謀による交付罪が成立しうる余地は存するといえるものの、そうではなく受交付者において何らかの事情により買収資金を再交付することなく終つたような場合を想定するときは、前記弁護人の見解によると交付罪はもちろん、共謀による交付罪の成立しうる余地も全くないこととなるのであつて、その結論の不合理であることは今更論ずるまでもない。

以上のように当裁判所は再交付目的の交付・受交付も公職選挙法第二二一条第一項第五号の交付・受交付罪に該当すると解するものであり、従つて被告人が現金を相手方に交付するに際して交付又は供与のいずれの目的をどの程度の度合で有していたかにかかわらず、それによつて交付罪の成立は何ら左右されるものではないのであるから、仮令本件各公訴事実において右各目的に応じた金額が区分特定されていなくとも訴因が不特定ということはできない。よつて弁護人の公訴棄却の主張は理由がなく失当である。

第二交付罪と供与罪の関係に関する主張について

弁護人は、埜崎義榮及び横山美雄外五名の各受交付者と被告人との間には供与等の共謀関係が認められるべきであるとしたうえで、このように供与等の共謀者相互間で交付行為がなされ、その後共謀にかかる供与等が現実に行なわれたときは、先の交付罪は後の供与等の罪に吸収されると解すべきであるから、前記埜崎らに対する交付事実中、後に供与等が実行された金額については被告人の交付罪は成立せず、無罪となる旨主張する。

なお弁護人は岩立正俊、石毛源一、加瀬忠一に対する関係については、同人らに対する交付事実の存在を争つていることから右の主張をなしていないが、前述のとおり同人らに対する交付事実が認められる以上、この関係でも同様の問題が存するので、以下右岩立らに対する関係をも含めて検討することとする。

先ず被告人と各受交付者との間の、供与等に関する共謀の有無について考えるに、検察官は、被告人による本件各受交付者に対する本件現金の手交は、それぞれ、後援会名簿に署名した有権者数を基準にして一票当たりの投票報酬の金額を二、〇〇〇円(但し、香取郡神崎町分については例外的に三、〇〇〇円)、それを配付する選挙運動者に対する運動報酬の金額をその配付額の約一割とする旨の概括的な了解の下に一括して行なわれたに止まつており、投票報酬の具体的な供与の相手方・方法、供与の時期、あるいは運動報酬配付の相手方・方法、配付の時期、配付に従事する個別の選挙運動者など、本件各受交付者から先の買収資金の流れについては同人らに一任しているうえ、被告人は供与の相手方である末端有権者との間には、地域的・人的な結びつきがなく、受供与者となるべき者を具体的に認識する可能性はなかつたものと認められるとして、供与の共謀関係としてとらえるのは相当でない旨主張するのである。

しかしながら、供与罪における謀議の意義については、最高裁判所昭和三七年(あ)第八六三号・同三七年一二月二七日第一小法廷判決(裁判集一四五号七三三頁)、同昭和四一年(あ)第一七〇九号・同四三年三月二一日第一小法廷判決(刑集二二巻三号二七五頁)において「数人の間に一定の選挙に関し一定範囲の選挙人または選挙運動者に対し、投票または投票とりまとめを依頼し、その報酬とする趣旨で金銭を供与するという謀議が成立すれば足り、その供与の相手方となるべき具体的人物、配布金額、金員調達の手段等細部の点まで協議されることを必要とするものでない」と判示されているところであり、共謀の意義に関する従前の判例の趣旨に照しても、検察官の主張するような細部の事項についてまでの協議が必要であるとは解されず、(証拠の標目)欄掲記の各証拠により認められ、また後述する如くの本件の事実関係に照せば、被告人と本件各受交付者との間には供与等についての共謀が認められるというべきである。そして、被告人が各交付した金員のうち、石渡栄に対する交付分を除いたその余の交付金の相当部分が、その意図したとおりに更に下部の運動員に交付ないし供与されていることは本件各証拠から窺うことができるのである。

ところで、このように供与等の共謀者間において買収資金が交付された場合でも交付罪の成立しうることは前記昭和四一年七月一三日の最高裁判所大法廷判決で認められて以来、前記昭和四三年三月二一日の第一小法廷判決、さらに最高裁判所昭和四三年(あ)第二三四七号・同四五年一一月二〇日第二小法廷決定(刑集二四巻一二号一六四七頁)によつてもその判断が踏襲されているのであるが、右交付の後にその共謀にかかる供与等がなされるに至つた場合には、右交付罪とは別に共謀による供与等の罪の成立する余地もあり、この両罪の関係について前記昭和四一年七月一三日及び昭和四三年三月二一日の各最高裁判決は、「その共謀にかかる供与等の目的行為が行なわれたとき(供与等の申込、約束がなされ、又は次の交付もしくはその申込、約束がなされたときを含む)には、一旦成立した交付又は受交付の罪は後の供与等の罪に吸収され、別罪として問擬するを得なくなる」旨判示しているのである。

そもそもこのように先の交付罪が後の供与等の罪に吸収されて問擬しえなくなるとする見解は、当該被告人が共謀による供与等の罪として問擬され処罰されるような場合に、あえて右供与等と窮極の目的を同じくする交付罪についてまで、重ねて責任を問う必要は存しないとの理由に依拠するものであるから、それは右の事情の存する限りにおいてのみ首肯しうるものであつて、その理由の存しない場合にまで不当に右吸収の意義を拡大することは畢竟前述のように法が選挙運動者に対する買収資金の交付それ自体に独自の可罰性を認めた趣旨を没却するに等しく、厳に慎まねばならないところである。

そして右のことからすれば、現行刑事訴訟法が採用している訴因制度の下においては、交付罪が後の供与等の罪に吸収されることとなるには、供与等の罪について訴因が提起され、かつ責任阻却事由がなく、有罪の認定をなしうる場合であることを要するものと解するのが相当であり、後の供与等の罪について訴因が提起されておらず、従つてそれについて有罪の認定をなし得ない場合にまで吸収を認めることは許されないといわなければならない。

前記の各最高裁判決は、交付罪と合わせて後の供与罪も訴因として提起されていた事案、あるいは、原審において交付罪と供与罪の両訴因が合わせて審理されていたものの、供与罪についてその判断を誤まつて共謀関係を認めなかつたため、有罪の認定をなし得たにもかかわらず無罪とされ、その訴因について検察官が上告しなかつたことにより右無罪が確定していたという特殊な事案に関するものであつて、本件の如く供与等の罪の訴因が提起されておらず、従つてその点の審判の可能性が存しない場合にまで交付罪は後の供与等の罪に吸収されて不可罰であるとするものとは到底解されない。

従つて本件においては、前述のとおり被告人と本件各受交付者間に供与等の共謀の存したことは認められるものの、右供与等に関して訴因が提起されていない以上は、本件各交付罪が供与等の罪に吸収されることはないといわなければならない。よつて、この点に関する弁護人の前記主張もまた失当である。

なお、本件のような場合に、裁判所に、検察官に対して供与等の罪への訴因の変更を促し、あるいは命ずべき責務が存するかについて付言すると、法は前述のとおり、供与については勿論のこと、交付についても独自にその可罰性を認めているのであつて、しかもその法定刑は供与も交付も全く同一とされていることからすれば、交付から供与等に至る選挙買収事犯の発展過程をそのいずれの段階でとらえて問擬しても法はこれを許容しているものと解されるのであつて、検察官が交付あるいは供与のいずれで公訴を提起しようとも、それをもつて恣意的な公訴提起ということはできず、また裁判所にも検察官に対して交付罪の訴因を供与等の罪の訴因に変更することを促し、あるいは命ずべき責務があつて、これを履行しないときは著しく正義に反する結果になるともいえないのである。

第三横山美雄外五名に対する供与金額の一部は交付と解すべきであるとの主張について

弁護人は、横山美雄外五名に対する各供与金額のうち、同人らの家族に対する一票二、〇〇〇円の割合の金額(横山美雄については八、〇〇〇円、石渡栄については二、〇〇〇円、松本勝造、菅谷茂、山本晴靖については各四、〇〇〇円、増田寅次郎については六、〇〇〇円)はいずれも同人らに供与されたのではなく、同人らの家族に供与されるべきものとして交付されたものであり、又さらに、右松本、菅谷、山本、増田に対する各供与金額のうち、下部運動員のいわゆる足代として提供された金額(松本については三万円、菅谷、増田については各一万二、〇〇〇円、山本については二万一、〇〇〇円)についても、いずれも同人らに対して供与されたものではなく、交付されたものである旨主張する。

そこで検討するに、公職選挙法第二二一条第一項第一号にいう供与とは、金銭又は物品その他の財産上の利益を提供して、相手方にこれを帰属させることであり、これに対し同項第五号にいう交付とは、金銭又は物品を相手方に寄託し、その所持を移転するにすぎないものであると解されるところ、前記横山外五名の家族に対する一票二、〇〇〇円の割合のいわゆる投票報酬については、本件全証拠によるも、これを受領した右横山らにおいてその家族に対して右割合の金員を供与した事実は全く認められず、かえつて前記(証拠の標目)欄掲記の各証拠によれば、同人らは右金員を自ら費消したり、あるいは費消しないまでも家族分として受領した金員は自ら費消しうるものと認識していたこと、また被告人においても右同様の意図のもとに提供していることが認められるのであつて、これらの事実に徴すれば右横山らの家族分について、これを供与と認めるのに何らの妨げも存しないのである。

またいわゆる足代として提供された金員についても、前同各証拠によれば、被告人から提供される際には、右足代に相当する金員については、ただ単に有権者への一票二、〇〇〇円の割合による投票報酬の配付に従事する者に対する運動報酬である点が既定されていたにすぎず、その範囲内において前記松本ら提供を受けた相手方が、自ら投票報酬を有権者に配付してその全額を得ようが、また他の者に配付させ、あるいは他の者と共に配付して応分の割合でこれを分配しようが、その処分は分配の可否、その相手方、方法、金額を含めて一切右松本ら相手方の判断に委ねる趣旨であつたこと、そして同人らにおいても右趣旨を認識していたものと認められるのであるから、このような場合も供与に該当すると解するのが相当である。

なお、被告人から岩立正俊、石毛源一、加瀬忠一、埜崎義榮に対して交付された各金員の中にも、いわゆる足代に相当する部分の存することが認められるのであるが、右同人らの関係においては、前記(証拠の標目)欄掲記の各証拠によれば、私設秘書である岩立、石毛、加瀬については、その担当する地区における配付の具体的方法は同人らの判断に任されていたものの、同人らが右金員を自ら利得しうるものでなかつたことは明らかであり、また埜崎については同人からさらに下部の運動員に供与あるいは交付すべき分を各別に区分けしたうえで交付されていることが認められるのであつて、いずれについても前記松本らに対する場合と異なり、前述した趣旨における供与といえるものではない。

よつて弁護人の前記主張は理由がない。

(総括主宰者について)

第一はじめに

一  本件選挙違反事件は、ポスター等の貼付、新聞・パンフレツト・チラシ等文書の配付、テレビ・ラジオ等による放映・放送及び立会演説会又は街頭等における演説、宣伝車等による呼びかけ等により、候補者の政見・識見・人格等を訴え、投票を求めるという通常の選挙運動の裏で行なわれたところの、候補者宇野亨に当選を得しめる目的をもつて、選挙人・選挙運動者に対して金銭を交付、供与した買収事件であり、その事案内容は、昭和五四年一〇月七日施行された衆議院議員総選挙(以下本件選挙と略称する。)が近く行なわれるものと確実視されるに至つた同年八月中旬頃から同年九月一七日前後にかけて、それぞれ担当地域を定められていた私設秘書等及び被告人が、宇野とおる後援会(以下単に後援会と略称する。)の役員の名称を有する運動員等を介し、宇野とおる後援会名簿と印刷された用紙(以下後援会名簿と略称する。)を使つて、後援会への加入勧誘名下に選挙人の署名を集め、更に投票日がせまつた頃、各地域の前記運動員を介して、右後援会名簿に署名した選挙人(及び運動員)に現金を供与して宇野亨への投票を確保する目的で、被告人がそれぞれの私設秘書に現金を交付したもの及び自らもその担当する地域内の前記運動員に右目的で現金を交付、供与したもので、被告人は右選挙に、その選挙運動を総括主宰した者として関与し、右買収事件を犯したものとして訴追されているものである。

そして、少なくとも被告人が右買収事件を犯したものであることは前掲各証拠に照し明らかというべきであり、前記(罪となるべき事実)欄において認定したとおりである。

二  そして、被告人の検察官に対する昭和五四年一二月一五日付、同月二七日付及び昭和五五年一月九日付各供述調書には、自ら、買収を目的とする選挙運動を担当する私設秘書の上にあつて、これをとりしきり、統括することとなつた旨の記載があり、越川群一の昭和五四年一二月二七日付、加瀬忠一の同月三〇日付、宇野和男の同日付及び森川恭次の昭和五五年一月九日付の各検察官に対する供述調書(謄本)にも、被告人は私設秘書をまとめる役で、前記買収をその内容とする選挙運動の責任者であり、そのため各私設秘書は、被告人に、集められた署名数や選挙情勢を報告し、その指示を受けていた旨の記載があり、かかる記載からすれば、被告人は少なくとも前記買収を目的とする選挙運動の総括主宰者といいうることになる。

しかし、右被告人及び越川群一等の各供述調書を仔細に検討すると、そこには被告人が私設秘書の上に立つてこれをとりまとめ右の選挙運動をしていたものと認められるか、あるいはこれを推認させるに足る具体的事実の記載は無く、その結果としてあげられている被告人に対する前述のような報告や被告人の指示といわれるものもなお検討を要するものであることが窺われるところであり(なお右各調書より前の、被告人の検察官に対する昭和五四年一一月一八日付供述調書、岡野全孝の検察官に対する同月二〇日付、同年一二月一六日付各供述調書謄本及び加瀬忠一の検察官に対する同月二日付供述調書謄本等にも、被告人と宇野和男が私設秘書の上に立つてこれをとりまとめ、統括していた旨の記載があるが、これも同様根拠となる具体的事実の記載がない。)、従つてこれのみをもつて、直ちに被告人が総括主宰者として前記のような選挙運動に関与していたものとは即断し得ないのである。

三  公職選挙法にいう「選挙運動を総括主宰した者」とは、特定の候補者のための選挙運動を推進する中心的存在として、選挙運動全般又はその基幹的主要な部分を、掌握指揮し専行する立場にあつた者をいうものであるが、必ずしもそれは一人に限られるべきではなく、数人が上下・優劣を決し難い関係において、共に中心的存在として、合議の上、共同し、あるいは事項、時期、地域等を分担してでも、右の如く選挙運動の全般又は基幹的主要な部分を掌握指揮し専行しているような場合も含むもので、ただ時期的にはその存在は、候補者の立候補届出等の後に限られるものである。

そして右総括主宰者の概念は、いうまでもなく事実的、具体的なものであるから、具体的な個々の選挙における「選挙運動を総括主宰した者」であるか否かの判断は(右の如く時期的な制限があるにせよ)立候補届出前の事情等も含めて、当該選挙運動の実態、その者が関与担当した事項やその関与担当の態様、程度等を総合的に検討してなされなければならないものである。

そこで、本件においても、前掲各証拠及び被告人の司法警察員に対する昭和五四年一一月一三日付供述調書謄本、証人岡野全孝、太田福次郎、石田高司、向後馨、高木滋、高橋賢一、久留戸邦光の当公判廷における各供述、証人加藤宗一、佐藤照与に対する各尋問調書、登記官作成の不動産登記簿謄本一五通、千葉地方裁判所昭和五二年九月一三日付判決謄本等に徴し、候補者宇野亨、その秘書達、被告人及び右宇野亨の支持者等(以下宇野派と略称する。)の選挙運動の実態及び被告人の関与担当した事項、その関与担当した態様・程度等を、宇野亨の立候補届出前の事情も含めて具体的に検討することとする。

第二  宇野派の本件選挙における選挙運動は次のようなものであつた。

即ち、

一  宇野亨は本件選挙の公示のあつた昭和五四年九月一七日に立候補の届出をなしたもので、同派は宇野亨の実質的経営にかかる株式会社大洋興産、同千葉農林(以下単に大洋興産、千葉農林と略称する。)の両社の事務所があり、また後援会事務所もある八日市場市イの一三八番地の一〇所在の建物に主として選挙事務所を置き、元八日市場市長の太田福次郎を選挙責任者、福岡明を出納責任者としたものであるが、実質は、宇野亨の第一秘書であつた岡野全孝が選挙事務担当者として右選挙事務所に常駐し、一部大洋興産の従業員石田高司及び出納事務に従事した向後義雄等の補助を受けつつ、ポスターの貼付計画、文書の配付計画、宣伝車等の運行計画などの立案及びその実施、演説原稿や諸般の文書の起案、作成並びに金銭の出納等を担当し、前述のような通常の選挙運動を展開したものであつた。

二  しかし、他面同派は次のような形態の選挙運動をも実施していた。

(一) 同派は、昭和五一年一二月五日施行の衆議院議員総選挙(以下前回の選挙と略称する。)に際し、選挙区の各地に「宇野とおる後援会」を作り、その個々の後援会に、会長、代表者、支部長、班長等と呼ばれる役員をもうけ、選挙区全体の後援会の事務所を前述の八日市場市イの一三八番地の一〇所在の建物に置いていた。

しかし右後援会の実態はといえば、その会員は主として後記(四)のような手段で宇野亨への投票を確保することを目的として、後援会への加入名下に後援会名簿に署名を求められた者にすぎないものであるのみならず、その名簿もかかる目的を達した後は焼却等の方法により廃棄されるという有様であつて、前回の選挙後は後援会としてはみるべき活動もなく、本件選挙に際して後述するような署名集めが行なわれるまでは、各地に役員の肩書を残していた主立つた運動員がいるにすぎず、これらの者が後記(二)の(1)のように当該地区担当の私設秘書と連絡をとり、いわゆる日常の後援活動に従事していたものである。

(二)(1) 同派はまた、前回の選挙の際も、私設秘書又は後援会事務局員という肩書を持つ者が、右八日市場市の後援会事務所に常駐し、あるいはこれと緊密な連繋のもとに、担当地域の各地の後援会の役員と連絡をとり、後記(四)の(1)のような選挙運動にも従事したものであるが、前回の選挙後は、後援会の組織が前述のようになるにつれ、担当地域の後援会の役員と連絡をとるなどして、地元の諸会合、行事、冠婚葬祭に宇野亨の代理として出席したり、陳情、要望の伝達あるいは就職等の世話などを通じての、いわゆる日常の後援活動に従事していたにすぎなかつた。

(2) しかし本件選挙が具体的に予想されるにいたつた昭和五四年七月頃からは、選挙区を、八日市場市を含む匝瑳郡市、佐原市を含む香取郡市、銚子市等を含む海上郡市、佐倉市を含む印旛郡市に分け、私設秘書の越川群一及び宇野亨の妻みつ子の弟で私設秘書でもある宇野和男が共同して右匝瑳郡市を、私設秘書の石毛源一が右香取郡市の内の小見川町、干潟町を、私設秘書の岩立正俊が同郡市の内の佐原市、東庄町、山田町、神崎町を、私設秘書の並木啓が同郡市のその余の町を、私設秘書の加瀬忠一が右海上郡市を、宇野亨の妻みつ子の姉茂子の子であり私設秘書でもある渡部藤彦が前記宇野和男の応援を得て印旛郡市の内の佐倉市を、右みつ子の妹富美子の夫であり私設秘書でもある森川恭次が同郡市の内の四街道町を、宇野亨の実弟である被告人が同郡市内の八街町、富里村をそれぞれ担当し、各担当地域内の後援会の役員等と連絡をとりつつ本件選挙に備えていた。

(三) そして昭和五四年八月に入ると、その頃には宇野亨が再起不能の病身であり本件選挙には立候補できない旨の噂が流れていたので、これを打消し、更に宇野亨の親族や後援会の役員等の結束をかためると共に、積極的な選挙運動の展開を依頼することを目的として、同派では少なくとも次のようなことが行なわれた。

(1) 昭和五四年八月七日頃、成田市内の成田ビユーホテルで印旛郡市の各後援会の役員会を開催し、宇野亨、被告人及び前記岡野全孝、渡部藤彦並びに後記(四)の(1)記載の佐藤衛が各出席し、宇野亨が、自分は健康で来るべき本件選挙にも立候補するので支援を願う旨の挨拶をしたものであるが、その際被告人は別室で、約五〇人位の役員達に対し、出席してくれた足代と称して一人二万円宛の現金を順次供与するとともに、各後援会の会長ら幹部役員一〇人位には特に連絡・通信費等の名目で三万円ないし一〇万円の現金を供与した。

(2) 同月八日頃、匝瑳郡野栄町の望洋荘で、同年七月頃から、被告人が、自分や宇野亨の生家である佐藤家の代表として、また前記宇野和男が宇野亨の養家先の宇野家の代表として、両名で共同して計画した親戚会を開催し、宇野和男等が来るべき本件選挙に際しては先ず親戚が結束して宇野亨を積極的に支援し、その選挙費用の一部でも調達しようと呼びかけ、出席した宇野亨も自分は健康であり、来るべき本件選挙には再び立候補するので親族も積極的に協力されたい旨の挨拶をした。

(3) 右同月一〇日頃、旭市の国鉄干潟駅前にある魚店兼料理店の魚安で、前記宇野和男及び越川群一が計画して、匝瑳郡市の後援会の役員会を開催し、出席した宇野亨が、自分は元気であり、来るべき本件選挙には再度立候補するが、皆さんの協力がなければ当選できないので支援を願う旨の挨拶をし、宇野和男もまた支援・協力を願う旨の挨拶をしたが、その際右宇野和男及び越川群一において、約四〇人位の役員達に対し、出席してくれた足代名下に、あらかじめ宇野亨に進言して説得し、同人から交付を受けて保管していた一人一万円宛の現金を供与した。

(四)(1) 宇野派においては、前回の選挙の際、前述のような通常の選挙運動を行なう一方、宇野亨や被告人の長兄亡久之進の子で、宇野亨及び被告人の生家のいわゆる当主であり、かつ宇野亨の私設秘書でもあつた佐藤衛等が、宇野亨への投票見込数を判断するための資料のひとつとするとともに、その投票を確保するための手段として、後援会役員等の運動員を介し、後援会名簿を用いて後援会への加入勧誘名下に選挙人の署名を集め、その際、署名者には物品を、右署名集めに従事する者には足代として、一人又は名簿一冊につき三、〇〇〇円宛の現金を各供与し、更に右の投票を確実にするため同様に後援会の役員等を介し、その署名者に一、〇〇〇円宛のいわゆる投票報酬(以下買収金と略称する。)を供与するなどの選挙運動をしたものであつた。(佐藤衛は、印旛郡市における右物品・現金の供与が発覚した結果、昭和五二年九月一三日、千葉地方裁判所で懲役一年六月、執行猶予四年の判決を受けた。)

(2) そのため同派では、今回の選挙において後援会名簿の署名集めの始期やその方法について特段の協議をしなかつたものの、各私設秘書等及び被告人は、昭和五四年八月中旬頃から、八日市場市の後援会事務所にその頃既に準備されていた後援会名簿を用いて、各担当地域の後援会の会長等にそれぞれの地区での選挙人の署名集めを依頼し、右後援会長等は又、その下部の役員を介し、あるいは、自ら選挙人に対し、後援会への加入勧誘名下に後援会名簿への署名を求めて、署名集めを行なつた。

そしてその際、足代と称する一人宛又は後援会名簿一冊宛五、〇〇〇円の割合の現金が右署名集めに従事した者に供与されるべく、私設秘書等及び被告人から右後援会長等の役員に交付・供与され、また全員ではないにしても右後援会名簿に署名してくれた者に渡す目的のタオル、靴べら、ハンカチセツト等も、同様私設秘書等及び被告人から右後援会の役員等に交付された。

なお、右足代と称する現金は、少なくとも前記石毛源一、岩立正俊、加瀬忠一の担当地域の分は被告人から、渡部藤彦の担当分は宇野和男から、それぞれ右同人等に渡されたものであり、右タオル、靴べら、ハンカチセツト等は前記八日市場市の後援会事務所に用意されていたか、またはそこからその頃設置された佐倉市や四街道町等の後援会の連絡事務所に搬入されたものであつた。

また、宇野亨の前回の総選挙の際の得票数が約五万五、〇〇〇票であつたこと、その後選挙区内の人口が増加したり、前回候補者を立てていた公明党が本件選挙にあたつては候補者を立てなかつた事情もあつて五、〇〇〇票位は上乗せしなければ、確実な当選を期し難いこと、集められた署名が実際の投票に結びつく割合は五割位と見込まれること等から、右の署名集めは、でき得れば一二万名、最低でも一一万名の署名を集めることを目標としていた。そして右署名集めは、地域によつて違いがあつたが、八月末から公示日である九月一七日前後にかけての間、遅くとも九月下旬頃にはほぼ終了し、大体一一万名位の署名が集められた。

(五) 他方宇野亨は、右のような署名集めが行なわれている昭和五四年八月二〇日頃、千葉市所在の株式会社平和相互銀行(以下平和相互銀行と略称する。)千葉支店内の同銀行千葉貸付センターに赴き、同センター長高木正俊に対し、狭山に有する借地上に、分譲及び賃貸マンシヨンを建設したいので、その資金として千葉農林名義で三億二、〇〇〇万円を貸して貰いたい、また担保としては大栄町及び猿田町にある土地所有権並びに狭山の土地の借地権を提供する旨申し出て融資の申込みをした。

この申込みを受けた同センターは、同月三一日同銀行本店融資部からその承認を受け、同年九月一日右センターにおいて、宇野亨との間で、借主を千葉農林(代表取締役被告人)とし、連帯保証人を宇野亨、被告人、大洋興産(代表取締役宇野亨)、那須ハイランドワイン株式会社(代表取締役加藤宗一、以下那須ハイランドワインと略称する。)とする金銭消費貸借契約を結び、その際宇野亨は、右千葉農林の代表者印や被告人の印鑑等を用いて割賦償還金銭貸借公正証書作成委任状等所要の書類を作成して、三億二、〇〇〇万円の融資を受け、同日利息等を差引かれた三億〇、五四四万七、四五三円が同銀行千葉支店の千葉農林の口座に振込まれたが、ただちに宇野亨の求めにより、うち三億円が株式会社東海銀行(以下東海銀行と略称する。)赤坂支店の千葉農林の普通預金口座に振込み送金された。そして同月七日に二、〇〇〇万円が、同月八日にも三、〇〇〇万円が宇野亨によつて右東海銀行赤坂支店の同口座から引き出されたが、その際いずれも同人によつて千葉農林の代表者印等を使用して普通預金支払請求書が作成されているものである。

(六) また宇野和男、越川群一は、その担当する匝瑳郡市の署名集めがほぼ終り、本件選挙の公示がなされた昭和五四年九月一七、八日頃、宇野亨方で同人に対し、地元の八日市場市の中央地区の各後援会長に、組織強化費や骨折賃の名目で、一人当り一万円ないし三万円の現金を供与することを提案し、同人の承諾を得、同人から約三〇万円位の現金を受取り、その頃これを右提案どおり八日市場市の中央地区の各後援会長に配付供与した。

(七) 本件選挙の公示もあり、各地域の前記のような署名集めも終了し、その署名数もほぼ把握できる状況になつた頃である同年九月二六日の夜か翌二七日午前、宇野亨は東海銀行赤坂支店の首席次長浦住哲也に対し、電話で、千葉農林の口座から一億五、〇〇〇万円を払出し、千円札で八日市場市の自宅に届けるよう求め、右浦住は同銀行東京資金部からの手当も受けて一億五、〇〇〇万円を全て千円札でととのえ、これを現金輸送用のトランク五個に収納して自動車に積込み、自らもこれに同行して、同月二七日午後八時頃、八日市場市ハの三四五番地所在の宇野亨方に赴き、同人方の離れ六畳間においてこれを同人に引渡したが、その際同人は千葉農林の代表者印等を用いて右一億五、〇〇〇万円についての普通預金支払請求書を作成してこれを右浦住に手交するとともに、翌二八日にも千葉農林の口座から一億円を引出し、同様千円札で揃えて自宅に届けるよう求め、同様千葉農林の代表者印等を用いて右金額の普通預金支払請求書を作成して右浦住に手渡したので、翌二八日右浦住は、右同様同銀行東京資金部からの手当も受けて、一億円を全て千円札でととのえ、前日同様に自動車でこれを宇野亨方に搬入し、同日午後八時頃、前日と同じ離れ六畳間で同人に引渡した。

(八) そして翌二九日ころ、被告人は右金員が宇野亨方に準備されたことを知るや、同人の了承を得て、前記の署名集めによつて集められたほぼ一一万人の署名者に対する一署名宛二、〇〇〇円(但し神崎町分は三、〇〇〇円)の買収金、また右買収金の配付供与に従事する者に対して供与する、各配付供与額の約一割宛のいわゆるまき手間(以下まき賃と略称する。)を、各私設秘書から前記後援会長等の役員に渡し、更にそれらの役員を介して下部の役員、選挙人に交付供与するため、右宇野亨方から右買収資金を持出し、同日頃から同年一〇月二日頃にわたり、前記(罪となるべき事実)欄記載のような交付・供与行為に及んだものである。

一方宇野和男もまた、前記九月二九日頃、越川群一より、右買収金の用意ができたので取りに来るようにとの電話連絡が宇野亨からあつた旨を伝えられるや、ただちに右越川と共に右宇野亨方に赴き、同人の指示、承諾のもとに、担当の匝瑳郡市において配付供与すべき前記買収金等として、現金約三、〇〇〇万円を持出したうえ、更にその後も宇野和男は、渡部藤彦の担当地域である佐倉市において配付供与すべき買収金等を持出したものである。

このような宇野派の選挙運動の形態をみると、同派は通常の選挙運動による得票をも考慮に入れていたであろうが、前回の選挙の際と同じように、本件選挙においても、前記のように後援会への加入勧誘名下に集められる選挙人の署名が実際の得票に結びつく割合は、買収金供与の手段を講じてもほぼ五割という見込みのもとに、当選のために必要と予想される得票数のほぼ倍の署名を集めることを目標に、後援会々長等の役員を介して署名集めをし、その署名者による宇野亨への投票を確実にするために、各署名者に対し、一署名宛二、〇〇〇円(但し神崎町分は三、〇〇〇円)の現金を供与することにより当選を得ようという選挙運動を展開していたものである。

そしてこの選挙運動が、右の如く結局は当選するに必要と予想される得票数の倍の数に及ぶ多数の選挙人に対し、買収金を供与し、もつて当選に必要な票数全部を買収により得ようとしたものであるとの点を考えれば、かかる選挙運動は同派の基幹的主要な選挙運動であつたということができる。

第三  そこで次に、右のような宇野派の選挙運動のどのような事項に被告人が関与したものか、みることとする。

一  同派の前述のような通常の選挙運動については、被告人が八日市場市の選挙事務所又は八街町八街ほ三一番地勝股英一方に設けられた連絡事務所において、同所に出入りする運動員又は選挙人を応接し雑談をかわす程度以上の選挙運動をしたものと認めるに足る証拠はない。

二  しかし他面、前述したような同派の基幹的主要な選挙運動についてみると、次のようなことが認められる。

(一)(1) 被告人が、前回の選挙に際して組織された後援会の結成について関与したとか、あるいはその役職についたと認めるに足る証拠はなく、また当時後援会の会長等その幹部役員と後援会組織を通じ密接な関係を有していたことを認めるに足る証拠もないところであり、前回の選挙にあたつては、当時選挙責任者として選挙運動に従事していた太田福次郎等からの要請で、宇野亨の実弟として他の親族の者達と共に、選挙人の集会や有力者宅などに顔を出し、宇野亨への支援、投票を訴えた程度以上の選挙運動をしたものとは認められず、その後も、本件選挙が予想されるようになつた昭和五四年五月頃までの間は、八日市場市の後援会事務所に常駐又は頻繁に出入りする等し、地元の陳情、要望の伝達等のいわゆる日常の後援活動に従事していたとも認められない。

(2) しかし、宇野亨が昭和五三年九月頃、旭市の旭中央病院に入院し胃の手術を受けたことにより相当期間療養を余儀なくされていたため、被告人は同人の健康を案じ、次期選挙(本件選挙)には立候補を見送るよう勧めたが、同人の立候補の意思が強いことを知り、ここに至つて、前回の選挙の際は初めて衆議院議員選挙に立候補したこともあつて、親族の者も積極的に協力したものの、当選後宇野亨がかかる親族に対し十分な謝意を表さなかつた等、その対応に問題があつて、本件選挙にあたつては親族からの積極的な援助が期待し難い事情があつたため、唯一人生存している実の兄弟として、本件選挙に際しては従前と異なり積極的に協力援助しなければならない旨の心構えをせざるを得ないこととなつた。

(二) 被告人は、昭和五四年春頃、宇野亨から、千葉農林の代表取締役を前記佐藤衛から被告人名義に変更するため、印鑑及び印鑑証明書の提供を求められるや、応諾してこれを提供し、又その頃右宇野亨から、選挙の資金の準備の為には、大洋興産の物件を処分するか、担保にして金を借りなければならないが、借りる際には被告人の名前を借りるから等申し向けられるやこれを承諾したのみならず、もし会社の分だけでは担保が足りなければ自己の物件を担保に提供しても良い旨申し出、更にその頃からは前記八日市場市の後援会事務所にも顔を出し、前回の選挙においては借入れ等によることなく、宇野亨自身で必要とする資金を準備し得たのであるが、本件選挙にあつては右の如く融資を受けなければならない状況にあることを私設秘書等も察知していたため、私設秘書等と雑談の際などに、今度は自分が担保を提供し資金造りに尽力する旨発言し、私設秘書等もまた本件選挙にあたつては被告人が宇野亨と協力してその資金を調達するであろうことを予想していた。

(三) また同派では、前回の選挙の際、後援会名簿に署名してくれた者に対し、石けんを供与していたものであるが、本件選挙に際しても同じ形態、方法による選挙運動を進めることが当然の前提となつていたため、本件選挙の噂が次第に具体的になるにつれて、昭和五四年六月頃には八日市場市の後援会事務所での私設秘書達の間の雑談の中で、本件選挙では署名者に対し供与する物としてタオルが適当ではないかとの意見が出るなどした後の同年七月一三日、宇野亨及び被告人の生家である佐藤衛方で法事が行なわれ、それに出席した森川恭次は、被告人に誘われるままに被告人宅に立寄つた際、被告人が同人宅の奥の部屋から取り出してきた宇野亨の名前が記載されている箱に入つた靴べら三〇本位と、同様に宇野亨の名前が記載されているのし紙に包まれたタオル四〇本位を被告人から受取つた。そしてこのような靴べら、タオル等は、その後八月中旬頃から行なわれた署名集めの際に八日市場市の後援会事務所に準備されて、署名者に配付供与されたものと同様のものであつた。

(四) そして、本件選挙が秋頃に施行されることが具体的に予想されるに至つた昭和五四年七月末か八月初旬頃、被告人は、八日市場市の後援会の事務所での、私設秘書との雑談や宇野和男を始め多くの私設秘書がそろつた際の話合いあるいは私設秘書同士の話の中などにおいて、宇野亨が前述の如き病気やその療養等のため、諸会合などに出席できずに選挙人に接する機会も少なく、他派からも病気で本件選挙には立候補できない等の噂が流されていることや、宇野派と同様に署名集めを行なつている他候補の派がその署名集めに従事している者に供与した金額や、署名してくれた者に提供した物品などについての噂が入つてきたことなどから、本件選挙は前回の選挙よりも情勢が悪いので、買収金は前回の選挙の際に配付供与した一、〇〇〇円ではなく二、〇〇〇円出さなければ戦えない、その買収金を配付する者に対するまき賃はその配付額の一割が適当であろうとか、署名集めに従事する者に対する足代は前回の選挙の際は三、〇〇〇円だつたが本件選挙においては五、〇〇〇円出さなければいけないだろう等の意見が出ているのを聞知していたので、その頃、宇野亨宅の応接室で同人に対し、「買収金は前回の選挙の時は一、〇〇〇円であつたが、本件選挙に際しては事前の物品供与もしていないので、二、〇〇〇円、出さなければならない」旨意見を述べ、「二、〇〇〇円は容易ではない」という同人に「今さら一、〇〇〇円じや末端まで行かないぞ、お大師様が元気を失ない途中でしまつてしまう」と、一、〇〇〇円では配付・供与に従事する者が意欲を失ない着服してしまい、末端の選挙人にまで届かない旨述べて、その旨決意、承諾させるとともに、それに要する金員を「借りなければならない」旨述べた同人に対し、「やる気なら早く準備しなければ駄目だ」と早急にその金員調達の準備にかかるべき旨進言し、同人から銀行から借りるについての協力と、そのための印鑑の貸与を求められると、千葉農林の代表取締役の名義の変更手続をとるに際して貸与したまま、未だ印鑑の返還を受けていない旨申し添えてこれを承諾し、銀行からの借入れに際しては保証人等として自己の名義を使用することを許諾した。

そしてまた、署名集めに従事する者に対する足代についても、「後援会名簿一冊分の署名を集めるのには一日かかるので、今頃の日当としては前回の選挙の際と同じ三、〇〇〇円では駄目で、五、〇〇〇円出さなければならない」旨意見を具申し、これまた「一寸高い」旨躊躇する宇野亨に対し、「親戚の者はただで従事する」旨申し向けて、これも承諾させた。

(五) 右のような時期の昭和五四年八月七日頃、前記第二の二の(三)の(1)記載の如く、宇野亨等と共に成田市内の成田ビユーホテルにおける印旛郡市の後援会の役員会に赴き、出席した役員に対して現金を供与したものである。

(六) そして翌八月八日頃、右第二の二の(三)の(2)記載の如く、宇野和男と共同して準備した親戚会を開催した。

(七) また被告人は、同じ八月上旬頃から、前回の選挙において前記佐藤衛が担当していた印旛郡市の内の八街町、富里村を担当することとし、八街町では勝股英一方に連絡事務所を置き、同人の助力を得て同町の後援会の幹部役員等の家を挨拶回りするなどし、富里村では同村の後援会長埜崎義榮と連絡をとり、同月中旬頃から後援会名簿を使用して後援会への加入勧誘名下の署名集めを依頼して署名集めを始め、その際その署名集めに従事してくれる役員に対する足代として、一人又は後援会名簿一冊宛五、〇〇〇円の割合の現金を後援会長等の役員に交付・供与したほか、前記第二の二の(四)の(2)記載の如く、加瀬忠一、石毛源一、岩立正俊がそれぞれ担当する地域の署名集めに従事する者に対して足代として配付・供与すべき右割合の現金を、その頃右同人達にそれぞれ交付した。

(八)(1) 宇野派においては、昭和五四年八月中旬頃から、公示のあつた九月一七日前後、遅くとも九月下旬にかけて、前述のように署名集めを行ない、被告人もまた自己の担当地域である八街町、富里村で、後援会の役員を介して選挙人の署名を集めることに努めたものであるが、被告人は八日市場市の後援会事務所等において、顔をあわせた私設秘書に対し、その者の担当地域における署名数についての話を聞き、あるいは尋ねるなどして自己の担当地域だけでなく、選挙区全般についての署名数の把握に努め、二区全般についてはほぼ一一万程度の署名が集められたものとの認識を持つにいたつたのみならず、少なくとも加瀬忠一、石毛源一、岩立正俊の担当地域における署名の概数を把握し、これを自らも宇野亨に伝えていた。

(2) そしてまた被告人は、右署名集めの際、及び公示後も、自己の担当地域の情勢の把握のみならず、私設秘書にその担当地域の情勢を尋ね、あるいは私設秘書からその担当地域についての情勢を聞く等して、全般の情勢の把握に努めるとともに、昭和五四年七月頃には越川群一から、各地を回つてみると、宇野亨は「がん」で再起不能との噂がもつぱらである旨の話を聞くや、そんなことはない、経過も良好で体重も増えているのでそのようなことは心配ないと伝えてくれ等と述べ、また宇野和男から野栄町、光町はもともと山村派、水野派の地盤であるうえ、他派の流した宇野亨は「がん」で再起不能との噂がしみこんでいるので特に情勢が悪い旨の話を聞き、もともとは他派の地盤でも選挙人をこちらに向けるようにしなければならない旨述べ、更に同年八月に入つた頃には、八日市場市の後援会事務所で、越川群一、宇野和男等から、水野派はバスを借切り空港見学やNHK見学を派手にやつているし、井上派は成田ビユーホテルで一番金を使つている等と聞いた際、地元にとつては地元の宇野亨が一番いいのだと宣伝したら良いだろう等とも述べ、九月に入つてからも右両名から匝瑳郡市で集まつた署名数は一万三、〇〇〇位である旨聞くや、一万五、〇〇〇位は欲しい、頑張つてくれ等と述べるなどしていたものである。

(九) 被告人は、公示の前後頃からは、ほぼ隔日程度に宇野亨方に顔を出し、同人の健康を確めると共に、選挙情勢についても話し合うなどしていて、かかる際宇野亨から買収金の手当ができた旨を聞き、これを宇野和男等に伝えたものであるが、この買収金についても私設秘書やその他の運動員から、他派はいくらの現金を出しているとか、宇野派はいつ、どのくらいの金を出すのかというような話を耳にしていたり、自らも九月末頃には買収金の配付・供与に着手しなければならない旨の意見を持つていたため、宇野亨に対し買収金は遅くとも投票日の一週間位前までに発送即ち配付・供与できる状態にしなければならない旨進言するなどした。

(一〇) そして同年九月下旬頃、被告人は香取郡の神崎町を担当していた私設秘書岩立正俊に対し、同町の後援会についての特殊事情、即ち前会長が八月下旬頃他候補の支持に変つたため後援会組織が一時崩壊状態となつたのを、同町の高橋賢一等を中心に、岡野全孝、石毛源一等が協力してようやく再組織されつつあつたという事情を考慮して、同町において配付・供与すべき買収金につき、「他派との対抗上、三、〇〇〇円出さなければならないだろう」との意見をもらすなどした。

(一一) そして被告人は同月二九日頃の朝、宇野亨方の、物置同然に使用されていた六畳の間に、千円札で準備され段ボール箱に収納された買収金が用意されているのを知り、同人方応接室で同人に対し、「じや、発送準備の段取りをしなければ」と申し向け、その承諾を受けるとともに、右買収金の配付・供与に従事する者に対するまき賃は、その者の配付する金額の一割位とすれば平均三、〇〇〇円位になるので、そのようにしようと申し向けて、その了解をも受け、その後岩立正俊、石毛源一に対して交付した現金及び自己の担当する八街町、富里村において交付・供与した現金を同日に、加瀬忠一に対して交付した現金を翌三〇日ころに、それぞれ持出して、前記(罪となるべき事実)欄記載の各犯行に及んだものである。

三  とすれば、被告人は本件選挙に際しては、前記のような、後援会の役員を介して、後援会への加入勧誘名下に、五割程度のリスクを予想して、当選するに必要と見込まれる得票数のほぼ倍の選挙人の署名を集め、その投票を確実にするため、署名者に対し買収金を供与して当選を得ようという、宇野派における買収を目的とする選挙運動に候補者宇野亨の実弟として加わり、少なくとも、

(一) 昭和五四年春頃、後に前記買収金を調達するため平和相互銀行から融資を受けた際に、その借受名義人となつた千葉農林の代表取締役の名義を佐藤衛から自己に変更することを応諾し、かつ宇野亨が他から融資を受ける折には自己の名義を使用することを許諾し、担保に不足を生じた場合には自己が担保物を提供し、右調達に協力してもよい旨申出、この旨を私設秘書等にも口外するなどして、右買収金調達の準備を応援したこと(前記第三の二の(二))

(二) 署名集めの際署名者に供与した靴べら、タオル等を、その署名集め開始前の七月一三日頃に既に自宅に置く等して署名集めに備えたこと(同第三の二の(三))

(三) 私設秘書等の話に出た買収金額、そのまき賃、署名集めの足代等について、七月末か八月初頃宇野亨にその意向を伝えて決断を求め、速やかにそれに要する金員の調達の準備にかかるよう促し、かつ宇野亨が右金員を銀行から借受ける際は保証人として自己の名義を使用することを許諾したこと(同第三の二の(四))

(四) 同年八月七日頃、成田ビユーホテルでの印旛郡市の後援会の役員会に赴き、出席した役員に足代等の現金を供与したこと(同第三の二の(五))

(五) 宇野和男と協同して、本件選挙にそなえて同月八日頃親戚会を開催したこと(同第三の二の(六))

(六) 印旛郡市の内の八街町、富里村を担当し、同月中旬頃から同地域で署名集めをし、その頃同地域でその足代等を交付・供与したのみならず、海上郡市、香取郡市の担当者である加瀬忠一、石毛源一、岩立正俊に対して、その担当地域で足代として交付・供与すべき現金を同人等に交付したこと(同第三の二の(七))

(七) 自己の担当地域の署名数や情勢の把握のみならず、二区全般の署名数、選挙情勢の把握に努め、少なくとも加瀬忠一、岩立正俊、石毛源一等の担当地域についてはその署名数の概数を認識し、かつ又各私設秘書から各担当地域における選挙情勢について話を聞き、それに対して意見を述べる等したこと(同第三の二の(八))

(八) 公示後は隔日程度に宇野亨方に赴き、情勢について話し合い、また買収金の手当ができたことを知るやこれを宇野和男等に伝えるとともに、宇野亨には配付に着手する時期について意見を具申したこと(同第三の二の(九))

(九) 神崎町の後援会の特殊事情を考慮し、同町における買収金額を三、〇〇〇円にしなければならない旨発言したこと(同第三の二の(一〇))

(一〇) 九月二九日頃の朝、買収金が用意されたことを見て、宇野亨の了承の下に、自己の担当地域分のみならず、岩立正俊、石毛源一、加瀬忠一の担当地域分をも持出し、岩立正俊等に交付すると共に、自己の担当地域においてもこれを交付・供与したこと(同第三の二の(一一))

等に関与したものということができる。

第四  よつてすすんで、被告人が前述のような買収を目的とする選挙運動に関係するに至つた事情等をも併せ、前記被告人の関与した事項について、被告人がどのような態様で、どの程度関与したものであるか、その関与の態様、程度について更に検討することとする。

一(一)  被告人は、昭和三九年頃から現住居に居住し、植木生産販売業に従事していたもので、公職の経験はなく、昭和五二年頃、自由民主党に入党したものの特段の政治運動をしたと認めるに足る証拠はない。

(二)  そして選挙運動についても、元八日市場市長の太田福次郎の市長選挙の際、その選挙事務所の雑用をするか、親族・知人に対し同人への支持を求める程度の運動をし、又実兄宇野亨の選挙についても、被告人の検察官に対する昭和五四年一一月一八日付供述調書には積極的に選挙運動をしていたとの記載があるものの、前回の選挙においては前記第三の二の(一)の(1)の程度に関与したにすぎず、それ以前の同人の県会議員選挙においても、証人太田福次郎の当公判廷における供述に徴すれば、その選挙事務所の雑用に従事し、そこに出入りする者の応接をし、親族として親戚・知人に宇野亨への支持を求めた程度のものと窺われ、それ以上選挙運動の中枢に位置して深くかかわつた経験を有すると認めるに足る証拠はない。

(三)  また宇野亨の政治活動に関しても、次記(四)のような名義使用の許諾(それが何のためになされたか明らかにする証拠はない。)を除くと、これを積極的に援助したり、その資金調達に尽力したと認めうる証拠はなく、その後援会に関しても、その結成に関与・尽力したと認める証拠も、その組織上何らかの地位を有したり、その幹部と組織上の繋りを持つていたという証拠もなく、また前回の選挙以後八日市場市の後援会事務所に頻繁に出入りするなどして、地元の陳情・要望の伝達等のいわゆる日常の後援活動に従事したとも認められないことは前記第三の二の(一)の(1)のとおりである。

(四)  更に、被告人の個人的な事情についてみると、旧制匝瑳中学校卒業後、生家で農業に従事して生家を維持していたが、亡長兄久之進の子佐藤衛の成長に伴い、昭和三九年頃に分家をして一家を構えたものであり、また宇野亨とは現在生存しているただ二人の実の兄弟であることもあつて、兄である同人のため、同人又はその経営する会社の所有不動産について登記上自己の名義を使用することや、それらのものが負担する債務について保証人として自己の名義を使用することなどを許諾し、右の不動産に担保権を設定するため、あるいは右債務保証について書類を作成するなどのため、その用途、内容を具体的に聞かされないまま、求めに応じて印鑑を貸与するなどしていたものであることが窺えるものである。

(五)  しかして、被告人が本件選挙に関係するようになつたのは、昭和五三年九月頃、旭中央病院で胃の手術を受けて療養を余儀なくされた宇野亨に対し、次期選挙(本件選挙)における立候補を見送るよう勧めたところ、同人の立候補の意思が強いことを知つたことに始まり、昭和五四年春頃からは同人から協力方を要請され、更に前回の選挙の際活動した佐藤衛が公民権停止中で選挙運動をすることができず、また私設秘書である者を除く親族等については前記第三の二の(一)の(2)のような理由でその協力を期待できない事情もあつたので、宇野亨と右(四)のような間柄にあつた被告人が、兄弟として自然、兄亨の本件選挙に関係せざるを得なくなつたことなどによるもので、その政治活動、選挙運動の経験、後援会との関係その他特段の意図、目的があつてのものではなかつた。

(六)  又、前述の買収を目的とする同派の選挙運動方式についてみると、前述してきたところからみれば、これは本件選挙に際し被告人が計画したものでも、被告人が宇野亨や私設秘書達と共同して計画したものでもなく、何人が作出したものか明らかではないが、前回の選挙の際既にとられていた方式であり、本件選挙にあつては、同派において、かかる方式によることが当然の前提となつていたものであり、結局、署名集めに従事する者に供与する足代の金額、その際署名者に供与すべき物品、買収金額、買収金を配付・供与する者に供与するまき賃の金額を決定すること及びこれらの物品、金員を調達、準備すること、そして何時ごろそれを配付・供与するかが基本的な主要事項にあたるものであり、その余はかかる方式を当然の前提とする同派の運動員により、特段の指揮・指示なしに進められるものであつたことが窺える。

二  そこですすんで、前記第三の三記載(一)ないし(一〇)の事項について判断することとする。

(一) まず前記第三の三の(一)の、千葉農林の代表取締役名義を佐藤衛から被告人に変更することの承諾や、借入れに際しての同人の名義の使用の許諾、担保提供の申出等についてみると、前記買収金等が、右千葉農林を借受名義人とし、かつ被告人を保証人の一人とする平和相互銀行からの借受けにより調達されたことは前述のとおりであるが、右千葉農林は実質的には宇野亨が経営し、被告人は何らの関係もしていない会社であり、同様宇野亨が実質的に経営している那須ハイランドワインの代表取締役には同社とは格別の関係のない加藤宗一が登記されているものであることや、被告人が自己の名義の使用を宇野亨の求めに応じ安易に許していたという前記第四の一の(四)記載の事情と、後記(三)記載の事情とを照しあわせてみると、他に積極的にそれと認めるに足る証拠のない本件にあつては、右名義変更の応諾、名義使用の許諾、担保の提供の申出が、前記買収を目的とする選挙運動の資金の調達の成否を左右し得るに足るものであつたと認めるについては躊躇せざるを得ない。

(二) 次に前記第三の三の(二)の、署名集めの際に署名者に供与された靴べら、タオル等が、その開始前の昭和五四年七月一三日に既に被告人宅に準備されていたことについてみると、なるほど右同日森川恭次が被告人から受取つたものと同様の靴べら、タオルがその後の八月中旬頃から始められた署名集めに際し、署名者に供与されたもので、かかる物品は被告人の準備したものであることの疑いが濃いものではあるが、これが何人の発案により発注され、また何処からどのようにして、何時頃被告人方や八日市場市の後援会事務所に持ちこまれたものであるかを認めるに足る証拠はない。とすれば、被告人がかかる物品を調達して署名集めに備えて用意していたものと断定することはできない。

(三) 更に前記第三の三の(三)の、被告人が私設秘書の意向を宇野亨に伝え、その意向に従い買収金額、そのまき賃、署名集めの足代を決定するよう述べ、速やかにそれに要する金員の調達の準備にかかるよう促し、更にそのために宇野亨が銀行から融資を受ける際は保証人として自己の名義を使用することを許諾したことについてみることとする。

(1) まず、右買収金額、まき賃の額、署名集めの足代の額の決定・決断についての意見の具申の経緯は前記第三の二の(四)のとおりであるが、宇野和男の検察官に対する昭和五四年一二月四日付供述調書謄本の記載によれば、同人もまた私設秘書や被告人がこれについて話し合つた二、三日後、越川群一と二人で宇野亨方の居間で、同人に対し、他の秘書達と話し合つた結果、今回は情勢が悪いので、買収金は一署名宛二、〇〇〇円、そのまき賃はその者が配付・供与する額の約一割が適当であろうということになつたので、考えて頂きたい旨意見を具申していることが窺われる事実並びに後記(2)の事情と、買収金及びそのまき賃として配付・供与された金員は、前述の如く宇野亨が単独で平和相互銀行千葉貸付センターに赴き、交渉のうえ融資を受けたものであること、その際被告人の名義が、借受名義人となつている千葉農林の代表取締役として、及び保証人の一人として、各々使用され、その個人の印鑑等も使われているものではあるが、被告人は前記第四の一の(四)記載の如く、宇野亨に求められるや容易に自己の名義の使用を許諾し、印鑑を貸与して、その意向に従う傾向があつたものであること、被告人は前記第四の一の(二)、(三)記載の如く政治運動の経験はなく、選挙運動においてもその中枢に位置したりして深くかかわりをもつた経験はないのに比し、宇野亨は県会議員を三期勤め、衆議院議員選挙も二度目の立候補であつて、選挙運動の経験も豊富であること、宇野亨は、岡野全孝、石田高司、埜崎義榮の当公判廷における各供述によつて窺えるように、第一秘書であつた岡野全孝にも金銭的、経済的な面には関与させず、金銭にはきびしい性向の持主であること等を併せ考えると、他にそれと認めるに足る事実を明らかにする証拠のない本件にあつては、被告人が実弟であり、前述の如く買収金等の調達について自己の名義の使用を許諾し、印鑑を貸与しているとはいえ、同派の前記のような買収を目的とする選挙運動の実施を左右し得る立場から右の意見を述べたとみることも、また宇野亨と上下・優劣を決し難い対等の立場において、共同・協議して買収金額やまき賃の額、署名集めの足代の額を決定したとみることも、いずれも困難といわざるを得ないところであつて、結局被告人のなしたのは、金銭にきびしい性向の宇野亨に対し、前回の選挙の際以上の金額の支出の決意・決断をすることを求めた意見の進言・具申の範囲内にとどまるものといわざるを得ない。

(2) そして、被告人がかかる際、宇野亨から、右金員を銀行より融資を受けて準備するので被告人の協力と印鑑の貸与を求められ、これを許諾した経緯は同様前記第三の二の(四)のとおりであり、宇野亨が平和相互銀行よりその資金として三億二、〇〇〇万円を借受けた経緯は前記第二の二の(五)のとおりであるが、これについても、被告人は従前から、宇野亨より求められれば容易に自己の名義の使用を許諾し、印鑑を貸与していたものであること、前記第二の二の(五)記載のように、宇野亨は融資の申込みの時も、契約の時も、単身で平和相互銀行千葉貸付センターに赴き、その際借主は千葉農林とし、自己のほか被告人個人、大洋興産、那須ハイランドワインを保証人としたものであるが、応対した同センター長高木正俊は、右宇野亨が千葉農林の実際上の経営者であることを聞知しており、その代表者印も同人が所持していたため、同人の申出のまま、千葉農林の代表取締役である被告人の意向も、またその資金を必要とする事由も確認せず、更に保証人とされている被告人個人や那須ハイランドワインの代表取締役と登記されている加藤宗一の意思も確認しないまま、宇野亨の持参した印鑑や印鑑証明書等を使用して融資手続を進めたもので、結局右融資は宇野亨の信用と担保物の価値に重点がおかれてなされたものであつたこと更に東海銀行赤坂支店においても同様、千葉農林の実際の経営者は宇野亨であることを知つており、かつ同人がその代表者印を持つていた関係で、千葉農林の代表取締役(同支店の口座では未だ佐藤衛の名義のままであつた。)とされている者の意向も確認することなく、右宇野亨の求めるままに前記の如く預金の払出、搬入を行なつていたもので、これもまた千葉農林の代表取締役が何人であるかを重視していなかつたものであること等を併せ考えると、これまたそれと認めるに足る他の証拠のない本件にあつては、被告人の前記のような自己の名義の使用の許諾及び印鑑の貸与が、宇野亨の前記資金の準備の成否を左右し、もつて宇野派の前述のような買収を目的とする選挙運動の成否を決定し得る程重要なものであつたとは認められない。

(四) 前記第三の三の(四)の、被告人が昭和五四年八月七日ころ、成田ビユーホテルでの印旛郡市の後援会の役員会に赴き、出席した役員に現金を供与したことについてみると、これまたその事実は前記第三の二の(五)、第二の二の(三)の(1)記載のとおりであるが、被告人の検察官に対する昭和五四年一月九日付供述調書に、その配付・供与した現金は自己が準備し立替えて支出したものとの記載があるのみで、前記第二の二の(三)の(3)の、魚安での匝瑳郡市の後援会の役員会の開催と現金の配付・供与や、同(六)の八日市場市の中央地区の各後援会長に対する現金の配付・供与が、いずれも宇野和男、越川群一の計画にかかるもので、宇野亨から承認と現金の交付を得て実行されたものであると認められるのに比し、何人が計画し、どのようにして実行に移されたのか明らかでなく、これを認めるに足る証拠もないので、ただちにこれをもつて被告人が計画し実行したものということはできない。

(五) 前記第三の三の(五)の親戚会を開催したことについてみると、被告人が宇野和男と協議し、本件選挙に備えて、八月八日頃に親戚会を開催した経緯は、前記第二の二の(三)の(2)のとおりであるが、右親戚会は本件選挙に際し、先ず親族が結束を固めて宇野亨を支援してくれるようにするために計画・実施されたものであるものの、親族の協力が十分ではなかつたとの前記の事実に徴すれば、これが宇野派の選挙運動に占める役割は余り大きいものではなく、また被告人の検察官に対する昭和五四年一一月一八日付供述調書の記載によれば、親戚会による資金造りは実現できなかつたものであることのほか、このような親戚会はこの八月八日頃のものが最初とも認められず、何時頃、何人によつて計画され、どのような役割を果してきたか明らかにする証拠もないので、被告人が宇野和男と協議・共同してこの親戚会を開催したことをもつて、直ちに被告人が宇野派の基幹的主要な選挙運動を掌握指揮したものと断ずることはできない。

(六) 前記第三の三の(六)の、被告人が自ら八街町、富里村を担当し、昭和五四年八月中旬頃から同地域で署名集めを始め、その頃同地域内の右署名集めの足代を交付・供与したのみならず、海上郡市、香取郡市を担当する加瀬忠一、石毛源一、岩立正俊に対し、その担当地域で同様足代として配付・供与すべき現金を同人等に交付したことについてみると、かかる事実は前記第三の二の(七)記載のとおりであるが、被告人の検察官に対する昭和五四年一一月一八日付供述調書に、八月頃宇野亨に署名集めの際の足代は五、〇〇〇円とすべきである等意見を具申した後、八日市場市の後援会事務所で宇野和男が宇野亨から受取つて来たと思われる足代を出しているのを見たので、自分の分も貰つて来て欲しい旨依頼して、宇野和男から富里村、東庄町分の足代を受取つた旨の記載があるのみで(この記載自体被告人の他の供述調書の記載に照し措信し難いものではある。)、この足代がいかようにして調達準備され、どのようにして被告人の手に渡つたか、これを明らかにする証拠はない。

とすれば前記(三)(1)と併せ考えてみると、被告人がその担当地域で署名集めをしたこと、そして担当地域内で足代を配付・供与したのみならず、他の地域を担当している加瀬忠一、石毛源一、岩立正俊に対し、その担当地域内で配付・供与すべき足代として現金を交付したことのみをもつて、直ちに被告人が前述の買収を目的とする選挙運動を掌握・指揮していたものとの資料とすることには躊躇せざるを得ない。

(七) 次に前記第三の三の(七)の、被告人が自己の担当地域の署名数や情勢の把握のみならず、二区全般の署名数、情勢の把握に努め、少なくとも加瀬忠一、石毛源一、岩立正俊等の担当地域については、その署名の概数を認識し、かつまた各私設秘書から情勢についての話を聞き、それに対して意見等を述べるなどしていたことについて考えることとする。

右の状況は前記第三の二の(八)のとおりである。しかして、被告人は、前記第四の一の(一)ないし(三)記載のように政治活動の経験を有するものではなく、本件選挙以前には選挙運動についてもその中枢に位置する等して経験、知識を深めていたものとは認められないものであり、宇野亨の政治運動に関しても深いかかわりを持つていなかつたと窺われ、後援会についても組織的関係はなく、またその幹部と組織を介しての関係があつたとも認められないものであるのに比し、私設秘書達の多くは前回の選挙にも関与しているのみならず、それ以後も担当地域の後援会役員と連絡をとりながら日常の後援活動に従事していたものであること、被告人は、解散前は代議士であり公示後は候補者であり、私設秘書達の雇主でもある宇野亨のただ一人の実弟で、同人方にも頻繁に出入りし、気軽に話もできる間柄であり、前記第三の二の(二)記載のように選挙資金等の調達にあたつては自分も担保を提供する旨口外し、私設秘書達も被告人がそのような方法で右宇野亨と協力して右資金の調達にあたるものと予想していたところであつたこと、宇野亨に対して署名数や情勢を伝えていたものは単に被告人のみに限らず、宇野和男の検察官に対する昭和五四年一二月三〇日付、同月四日付各供述調書謄本によれば、同人もまた担当地域のそれを主としているにせよ、署名数や情勢を宇野亨に報告していたものであり、更に岡野全孝の検察官に対する同年一二月一六日付供述調書謄本によれば、同人はその職責上私設秘書に報告を求め、選挙区である二区全般における署名数や情勢を把握し、宇野亨に伝えていたものであること等を併せ考えると、被告人は宇野亨の実弟で同人と親しい間柄にあり、資金調達にも協力することができる者という立場にあつたことから、私設秘書らからはそれなりに遇せられていたことが窺えるものの、他にそれと認めるに足る事実の立証のない本件にあつては、私設秘書等は組織上報告を受け、指揮・指示をなし得る地位にある者としての被告人に署名数や情勢を報告したものとは認め難く、むしろ前記のような立場・地位にあつて、宇野亨の当落に重大な関心を寄せている者に対する任意的な情報提供として話したものというべきであり、従つてそれについての被告人の発言もまた右の様な事情を前提にその性質を評価すべきであつて、組織上の指示・命令とみることはできない。

(八) 前記第三の三の(八)の、被告人が公示後は隔日程度に宇野亨方に赴き、同人と選挙情勢について話し合い、買収金の手当ができたことを知るや、これを宇野和男等に伝えると共に、宇野亨に対しては配付に着手する時期について意見を具申したことについてみるに、かかる状況はこれまた前記第三の二の(九)記載のとおりであるが、買収金の供与を当然の前提としてその金額等について進言し、選挙運動を進めていた被告人及び私設秘書にとつては、その準備がいつできるか、それをいつ配付するかは重要な関心事であるから、前述の如く頻繁に宇野亨方に出入りしている被告人がこれを知り、私設秘書に伝達するのは当然のことであると共に、買収金の手当ができたとすれば残る関心事は配付の時期のみである結果、前記(三)のような立場にある被告人であつても、その配付に着手する時期について意見を開陳することがあり得るのは当然で、特に重要視すべきものではない。

(九) また前記第三の三の(九)の、被告人が神崎町における買収金の額を三、〇〇〇円としなければならない旨発言したことについてみると、かかる発言に至つた状況は、前記第三の二の(一〇)記載のとおりであり、結局神崎町においては他の町や地域と異なり、一署名宛三、〇〇〇円の買収金が供与されたものであることは岩立正俊の検察官に対する昭和五四年一二月一六日付供述調書謄本の記載によつても明らかであるが、右の被告人の発言は、それをもつて三、〇〇〇円と決定した趣旨とみるべきか、あるいは単なる被告人の意見の表示に止まるかを判断するに足る証拠はなく、またその額はいかなる経緯で何人が決定したものかも明らかではない。

とすればこれもまた、ただちには被告人が前述の買収を目的とする選挙運動を掌握・指揮していたものとの資料とすることはできない。

(一〇) そして、前記第三の三の(一〇)の、被告人が昭和五四年九月二九日頃、宇野亨方に買収金が用意されていることを見て、宇野亨の了承の下に、自己の担当地域分のみならず、岩立正俊、石毛源一、加瀬忠一の担当地域の分も持出し、(罪となるべき事実)欄記載の犯行を犯したものであることについてみることとする。

かかる買収金の搬出は、前述のように、署名者に対し買収金を供与することが既に選挙運動の当初から予定されていたものであること、被告人は宇野亨の実弟として同人方に頻繁に出入りしていたものであること、他方宇野和男の検察官に対する昭和五四年一二月四日付供述調書謄本、越川群一の検察官に対する同月二七日付供述調書謄本には、前記第二の二の(八)記載のとおり、右九月二九日頃宇野亨からの電話で買収金の用意ができたことを知り、同人方に赴き、同人から単に「この中から数だけ持つて行け」といわれたのみで、担当地域である匝瑳郡市に配付・供与すべき一署名宛二、〇〇〇円の割合の買収金と、それを配付・供与する者に供与する、その配付・供与額の一割にあたるまき賃との合計額として約三、〇〇〇万円の金員を持出し、更に宇野和男が渡部藤彦の担当地域である佐倉市に配付・供与すべき買収金等を持出しているものであること、及び前記第三の二の(四)の事実等を併せ考えると、この時点では一署名宛の買収金は二、〇〇〇円(但し神崎町分は三、〇〇〇円)、これを配付・供与する者に対するまき賃はその者の配付・供与する金額の一割ということは既定の事項となつていたもので、被告人が「発送の段取りをしなければ」とか「まき代はその者の配付する金額の一割とすれば、平均三、〇〇〇円位になるので、そのようにしよう」等と宇野亨に申し向けたのは、単なる確認にとどまるものと解するのが相当で、それにより初めて、配付・供与に着手する時期やまき賃の金額が定まつたとみるべきものとは思われない。

とすれば、これをもつて、被告人が二区全般にわたる買収金の配付・供与に関与したものということはできず、従つて被告人のかかる行為をもつて前記買収を目的とする選挙運動の全般を掌握、指揮したとみることには躊躇せざるを得ない。

第五  そうしてみると、被告人は候補者である宇野亨の実弟として、同人の選挙運動を積極的に支援すべき立場に立たされたためこれに関与するにいたつたが、同派においては、通常の選挙運動をする反面、何人がこれを計画・作出したか未だ明らかでないものの、当選に必要と思われる得票数の倍の選挙人の署名を、後援会への加入勧誘名下に、後援会役員を介して集め、右署名者全部に買収金を供与し、当選に必要な得票を確保しようとする形態の選挙運動をもしており、被告人はもつぱら後者の選挙運動に関与していたものと言うことができる。

そして、宇野派のかかる買収を目的とする選挙運動は、これにより当選に必要な全ての投票を確保しようとするものであることからみて、同派の基幹的主要な選挙運動ということができるものであり、従つて被告人が通常の選挙運動に関与していなかつたとしても、かかる形態の選挙運動に関与し、その中心的存在として、その運動全般を掌握・指揮し、専行する立場にあつた場合、又は、他の者と上下・優劣を決し難い立場において、共に中心的存在として、合議の上、共同しあるいは運動の事項、時期、地域等により分担してでも、その運動の全般を掌握・指揮し、専行している場合には、被告人を総括主宰者とすべきものである。

しかしながら被告人が関与したと認められる前記第三の三の(一)ないし(一〇)について、前記第四の如く検討してみると、いずれも被告人が単独で前記のような形態の選挙運動の中心的存在として、その選挙運動全般を掌握・指揮し専行する立場にあつたものとみることができないものであり、またこれを全て総合してもそれと認めることができない。

そして前述のところからみれば、前回の選挙の際と同一の形態の選挙運動方法であつても、この形態の選挙運動を踏えつつ、千葉農林の代表取締役を佐藤衛から被告人名義に変更すること及び買収資金等を含む選挙資金を銀行から借受ける際にその名義を使用することのために、被告人に対し、その印鑑等の貸与を求め、その応諾を得るや、先ず千葉農林の代表取締役の名義を被告人に変更し、被告人や宇野和男等から買収金額やまき賃、署名集めの足代の金額についての要請を受けた後、被告人に具体的な内容を告げることなく、前記形態の選挙運動に必要な買収金等を調達するため、同年八月二〇日頃、その千葉農林を借受名義人とし、被告人を保証人の一人とする三億二、〇〇〇万円の融資を平和相互銀行に申込み、同年九月一日にはその融資を受け、途中二回にわたり合計五、〇〇〇万円を引出したものの九月下旬までそのままおき、これまた交付・供与の時期に関する自己の判断により、投票日の旬日程前の九月二七日、二八日の二回にわたり千円札で揃えた二億五、〇〇〇万円を自宅に搬入せしめ、同月二九日頃から被告人や宇野和男達に持出させて交付・供与せしめた宇野亨こそ前記形態の選挙運動全般を掌握・指揮したものというべきである。

そしてまた、被告人と右宇野亨との関係は、前記第四において検討したところに徴すれば、到底上下・優劣を決し難いようなものではなく、宇野亨を上位かつ優位とみるべきものであるから、その関与の程度とあいまつて、共同の総括主宰者ともみることはできず、その地位・立場に差異がある者の間の共謀関係が認められるにすぎないものというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の一ないし三の各所為はいずれも公職選挙法第二二一条第一項第五号、刑法第六〇条に、判示第二の一の所為は公職選挙法第二二一条第一項第五号に、判示第二の二別表記載1ないし6の各所為はいずれも、供与の点は同法第二二一条第一項第一号に、交付の点は同項第五号に各該当するところ、右判示第二の二の各所為はそれぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段、第一〇条によりいずれも一罪として犯情の重い交付罪の刑で処断することとし、以上の各罪についていずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条により最も犯情の重い判示第一の一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、後記量刑の理由記載の事情を考慮して、被告人を懲役三年に処することとし、同法第二一条を適用して未決勾留日数中四〇日を右の刑に算入し、訴訟費用のうち証人浦住哲也、同高木正俊、同松本勝造に支給した分は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により、これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

そもそも選挙の公正が議会制民主々義の根幹をなすことはいうまでもないところであつて、これを害する選挙違反、ことに本件の如き買収事犯に対しては厳しい態度で臨まねばならないところ、本件は前述したとおり、選挙区のほぼ全域にわたつて有権者の買収をはかり、衆議院議員の地位を金で買取るとも評し得るような大規模かつ組織的な事案で、被告人は総括主宰者とはいえないまでもその枢要に位置して、未だこの種事犯において類例をみないほど高額の買収資金を交付あるいは供与したものであり、その犯行態様も選挙事務所や連絡事務所を授受の場所として利用し、白昼堂々と大勢の運動員を集めて順次交付あるいは供与するなど人目を憚らぬ大胆さであつて、罪悪感の欠如すら思わせる程悪質なものであり、しかも選挙終了直後から約一か月の間逃走を続けたうえ、当公判廷においても事の真相を明らかにすることなく、私設秘書らに対する買収資金交付の事実を否認し続けた被告人の態度を併せ考えると、その刑責は極めて重いといわざるを得ず、他方本件の舞台となつた千葉県第二区は、世上金権風土といわれる如く、従前から選挙の都度買収事犯が跡を絶たなかつたところであるうえに、保守系候補の乱立や宇野亨の健康上の問題もあつて、宇野派の情勢がかなり悪かつたことが本件犯行に至る一因をなしていること、被告人は宇野亨の唯一の実弟であり、他に被告人に代わるべき者がいなかつたことから選挙運動の中心的部分にかかわるようになつたもので、それによつて何らかの利得を目的としたわけではなく、しかもその犯行方法は宇野派において従前からなされていた方法を踏襲したにすぎないこと、さらに被告人には前科前歴がないこと、報道機関により本件が大々的に取り上げられ厳しく指弾されたことにより、一応の社会的制裁を受けていること等、被告人に有利と思われる諸事情も存するのであるが、なお前述の如き刑責の重大性に鑑みると、前記程度の実刑を科することもやむを得ないものと考える。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 篠原昭雄 西島幸夫 播磨俊和)

(別紙一覧表)

番号

犯行日

供与及び交付の相手方の氏名

供与金額(円)

交付金額(円)

1

昭和五四年一〇月一日ころ

横山美雄

六万八、〇〇〇

五七万二、〇〇〇

2

石渡栄

四万八、〇〇〇

四四万八、〇〇〇

3

松本勝造

四万一、〇〇〇

三四万四、〇〇〇

4

菅谷茂

一万八、〇〇〇

二六万四、〇〇〇

5

山本晴靖

二万七、〇〇〇

一九万四、〇〇〇

6

同年同月二日ころ

増田寅次郎

二万八、〇〇〇

一九万二、〇〇〇

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